part 1人間の表現活動は、人とのコミュニケーションから始まっているのではない。言葉は誰かに何かを伝えたいためだけに話すのではない。
聖書のヨハネ福音書は「始めに言葉ありき」という一節ではじまる。「言葉は神とともにあり、言葉は神であった」と続く。言葉は、それを語る「人」に先立って存在することになる。それはつまり、祈りなのだ。祈りであることによって、言葉は言葉として毅然として存在し、絵は絵として他の何者にも左右されずに存在する。他者に何かを伝える前に、語らずにはいられないという内的な衝動があるのではないか。それこそが人間の表現活動の源泉ではないか。
part 2祈りであるからこそ、人は語り、描き、歌い、踊るときに、機能以上のものを求めてしまう。美しさを求めてしまう。
ゆえに人間の表現活動は、つねに装飾を伴っている。装飾しないではいられない衝動がある。文明とともに装飾はより複雑になるのではなくむしろシンプルになってきている。装飾という言葉は内容に付け足すもののように思いがちだが、実は表現という意味では、装飾こそがその表現する欲求をもっとも体現していて、むしろ装飾そのものが最大の表現内容だといっても過言ではない。装飾はスタイルを表し、時代の美意識を強く反映している。
part 3現代のグラフィックデザインの歴史は、装飾性をいかに減らすかという試みの歴史でもあった。文字としては、ヘルベチカをはじめとするサンセリフ体が主流になり、パソコンの普及がこれに拍車をかけた。
情報を共有する範囲が広がり、他民族国家やインターナショナルなマーケットでの表現を目指した時に、民族的な心の奥底に由来する装飾は切り捨てられることになった。それでもなお、人は装飾しないではいられない。効率だけを追求する世の中になったとしても、火焔土器の一面に文様を刻み続けずにはいられなかった欲求が完全に失われてしまうとは思えない。現代こそむしろ一層強く、祈りを必要としているのだから。(text by yoshihiko) --- next>>